2005年06月22日
パタリロ78
パタリロ78巻を購入。1978年に第一話が花とゆめに掲載されたんだよなあ。
今回驚きだったのは、あのプラズマXが再登場したことでしょうか。15年以上ぶり(29巻あたりが最後に登場したと思う)
今回印象に残ったのは、作者が、現在の日本への風刺。政治メッセージを出したことでしょうか。プラズマXの登場だけが注目されそうですが、超未来のマリネラのラストで日本国憲法9条を出して、感動して宇宙戦争を無くす。
50年前の古い考えという今の改憲論に対抗したものと思われるが、作中で本当の超過去にして、斬新な考えで感動させる演出は作者の政治メッセージとしては上手くまとめていると思う。
■キャラクター重視
上でストーリーに政治メッセージを絡めるというのは、昔の作品では割とよく見られたもので、最近の作品には少ない。(本宮ひろしさんの作品のように右翼に削除させられるなど、躊躇させられるのも原因)
昨年映像化された火の鳥太陽編は現代社会の近未来への警鐘をも含んでいたのだが、未来部分は現在の政治と合致する部分が多くばっさりとカットされ過去部分のストーリーのみしか描かれていないのが残念であった。
最近はキャラクター作りが重視される。おかげでストーリーへの厚みが足りないと感じる、過去の作品が面白いのはなぜか? キャラクターに人気があるから作品内容が良いと誤解してしまうのも一員だが・・。
ガンダムSEEDにどうもハマれないのは、キャラクターが前に出すぎていて、以前のガンダムにあったストーリー性が前に出てこないからだろうか。モビルスーツ戦闘もハデにはなったんだけどねえ。ストーリーはあるんだけど見えにくい、隠れてしまっている・・。
ガンダムは何が好きだったのだろう? モビルスーツなどは設定だけでも十分楽しいのだが、本編のストーリーを追うのが重要だったのではないだろうか。ガンダムWのようにキャラクター人気がでた影響で、ガンダムXはストーリーを重視したら人気が出ず。SEEDはWを見てキャラクター重視の要素を入れるというジレンマがあるように感じる。
そういえばガンダムでもターンAでは核兵器を久々に扱っていた。日本人だからこそわかる恐怖を演出したものの、原爆症などまで踏み込めたら演出としては最高のものだっただろう。
■死の演出
ストーリーに絡めてだけど、最近の作品には死というのが弱い印象がある。
戦争物でもヒーローとして描くのだが、死という恐怖を演出できていないのではないだろうか?
富野監督のザンボット3やイデオンはキャラクターの死を悲しみと怖さは個人的には今でも覚えている。怖いという印象的なシーンとして描かれていたのだ。死んだキャラクターは英雄ではない。死という現実を突きつけられている。
■厚みが・・
キャラクター人気に捉われてしまうのが多いが、そもそも 作品の数が多すぎてフォローが不可能なのもハマれない原因なんだろうなあ。
それを避けるためにキャラクターを重視してよけいな悪循環・・ あと数年まつしかないのか?
久々に重たいカキコですな。
投稿者 you_tiara : 2005年06月22日 23:09
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